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戦争せざるを得なかった、負けてよかった2
2015/08/11(Tue)

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負けて良かった

「負けて良かった」というのは、この大戦の本質はここにあったと思うからである。

大東亜戦争はアジアの解放を目指した戦いである。勿論、表向きのスローガンには違いない。しかし、この言葉を信じ、鼓舞されて我が国民は戦ったのである。裏に経済侵略という目的もあっただろうが、「中国やアジアを侵略するから、この戦に集え」ということを信じて人が動いたのではない。何事にも物事には裏表があるものだ。

アメリカだって同じである。「民主主義を守る」と言うのが表なら、「白い太平洋(白人が支配する太平洋=林房雄)」が裏の目的である。しかし、スローガンが「白人が支配するアジアを作る」では、アメリカ人も兵士となるのを躊躇するだろう。

戦後、日本の『裏』の目的とアメリカの『表』の目的が議論の俎上のるが、これでは噛み合うわけが無いどころか、戦の本質がまったくつかめなくなってしまう。しかし、何の疑念を持たれることも無く、この議論が今日まで続いているのだから、如何なものかと思うしだいである。

話しを戻すと、「負けて良かった」というのは、負けてしまった方が大東亜戦争の目的が達成されたからだ。何故なら、アメリカは「民主主義を守る」ため日本と戦ったのだから、その民主主義をアジアに実現しなければならなくなる。そうでなければ大義名分が立たない。

もし、「白人支配の太平洋」を実現しようとすれば、我が国の言い分の方が正しかったことになってしまう。再び戦前のように、アジアを植民地支配しようとすれば、それではアメリカ国民も納得しないだろう。まことに皮肉なことに『表』のスローガンの為に『裏』の目的を実現できなくなってしまった。

良く日本は戦術はあるが戦略がないといわれる。しかし、とんでもない。負けて勝つという高度な戦略になっていたのだ。意図してなかったことが難点だが。

日本がアメリカに勝つ?

もし、日本がこの戦いに勝っていたらどうなったであろうか。最も、アメリカと戦って勝つということはあり得ないので、日本が勝っている間に、早期和平に持ち込むということになる。これは山本五十六の考えであった。日露戦争と同じだ。

陸軍が主張する、昭和15年に締結された日独伊三国同盟に、山本をはじめ海軍は反対していた。陸軍では石原莞爾らも反対していたが、それを結べばアメリカが日本に対し禁油措置をとり、石油が入ってこなくなる。それでは戦車、戦艦、航空機は無用の長物と化し、すでに中国と戦争中の日本は負けてしまう。満州国の放棄にも繋がりかけない。さらに対米戦争は必至となり、工業力格差が10倍のアメリカと戦えば、必ず負ける、というのがその主な主張である。果たして現実の歴史はそうなってしまった。

事ここに至り、苦肉の策として、山本五十六は真珠湾攻撃から始まる、南方資源確保の戦を画策する。ただ、それは資源確保もあったが、一年か一年半、日本優位の内に戦いを進め、アメリカ国民の厭戦気分を誘い、優位の内に和平に持ち込み、禁油措置を撤回させる。その条件として満州以外の中国及び東南アジアの全ての占領地を放棄するというものだった。

これに対し、アメリカ国民が真珠湾のだまし討ち(山本五十六の願いとは裏腹に外務省の失態に因り開戦通告が一時間半遅れた)を赦して矛を収めてくれるかどうか、はなはだ心許ない事ではあるが、一縷の望みはあったかもしれない。

ただ、そうなってしまった場合、占領したところを全部返してしまうのだから、アジアは再び白人の手に戻ることになる。これでは大東亜開放の目的は達成されない。

また、日本の世論が 弱腰だと納得もしまい。また数年も経てば、アメリカに勝ったということで、天狗となり軍国主義の様相はより濃厚となるだろう。さらには今度は日本がアジアを劣等と見下すことになりかねない。

日本が負けたからこそ、慎み深く、思いやりのある日本人の良い方の性向が優位に立ったのであり、山本の構想どうりに動けば、日本人のもつ劣悪な性向が優位に立ってしまう恐れが多分にある。

したがって、日本が負けた方が、アメリカの核の傘の元の平和とはいえ、アメリカのポチに落ちたとはいえ、70年にわたる平和を享受でき、その間、科学技術を振興できたのだから返って良かったといえる。日本人としての誇りを失ったのが難点だが。

また、戦闘は昭和20年8月15日に終わらねば成らなかった。

何故なら8月9日には、日ソ中立条約(昭和16年成立、有効期間5年)を一方的に破り満州国に進攻してきたからだ。この条約のおかげでソ連は対ドイツ戦いおいて兵力を西側に集中させることが出来た。もし日本が東より参戦したならばソ連は兵力を二分することになり、スターリングラードまで迫ったドイツ軍を撃退できなかったかもしれないのだ。日本により、きわどいところを助けられたのにも関わらず、ヨーロッパにドイツの脅威がなくなると、条約などあるものか、その矛先を日本に向けてきた。日本国憲法前文に謳われる、『他国の公正と信義』などあったものではない。

さらに驚くべきは、日本が8月15日に武装解除し無条件降伏をしているにも関わらず、8月18日には、カムチャッカ半島の南端、千島列島北端に位置すの占守(しむしゅ)島に8300余名の兵を急襲上陸させてきた。占守島では陸軍第91師団が、武装解除していたが急遽再武装して応戦し、ソ連軍に多大な損害を与え侵攻を食い止めた。戦火がやんだのは21日になってからだった。

また唯一、日本国土で国境線のあった樺太でも8月15日以降も以降も戦闘は続いていた。8月11日、国境線より侵攻を開始したソ連軍は、8月15日に塔路に、8月20日には樺太南部の真岡に上陸作戦を敢行した。日本軍は武装解除命令のもと、自衛戦闘で逐次抵抗を試み、その侵攻を遅らせた。

特に真岡では、真岡郵便電信局の電話交換手の女性9人の青酸カリ服毒自決の悲劇も生まれた。彼女らは40万人いたとされる島民の速かなる疎開の為に、ソ連軍が迫る中、最後まで電話交換業務を続けたのである。後にこの悲劇は1974年(昭和49年)「氷雪の門」として東宝で映画化されたが、ソ連の圧力により劇場公開を見送られ、幻の映画となってしまった。

思わぬ日本軍の反撃により、スターリンは当初予定していた北海道北部の占領を断念する。もし終戦の決断が8月15日より遅れれば、北海道は、否、遅れれば遅れるほど東北地方までもがソ連領となり、日本はドイツのごとく国を二分されていただろう。したがって、終戦は昭和20年8月15日を1日たりとも伸びてはいけなかったのである。

我が国に天皇制があったことが幸いした。天皇の存在がなければ、和平か交戦かいつまでも議論の決着はつかず、本土に米軍が上陸し、迎え撃つ為に一般市民が竹槍で戦い、衆寡敵せず、ズルズルと負け戦が続き、北海道はソ連の手に墜ちていただろう。まことに際どいところで終戦に持ち込めたというほかない。

太平洋の各戦線では、齟齬が連続し、神に見放されたような印象を受けるが、終戦間際には、際どいところで神に救われた印象を受けるのである。

そのように考えてみると昭和二十年八月十五日の敗戦はまことにタイムリーだったというほかないと思うが如何だろうか?。

以上、石原莞爾の説に従って最終戦争を考えてみたが、開戦は昭和16年12月8日でなければならず、終戦は昭和20年8月15日を伸びることがあってはならない。この日時が、戦うにしても、負けるにしても最良の日であったということだ。始めるのも終わるのもこれで良かったのだ。

聖戦という言葉がある。人の殺し合いに聖(ひじり)などあるものか、と思うのだが、大東亜戦争とは、どう転んでも戦わざるを得なかった戦である。歴史の必然の戦と言える。この戦により、人類の進化が、今一歩おし進められたのだ。

私が小学生の頃、日教組の先生だったのだろうか、「あの戦いに参加した兵士は犬死だ」と教えられた。とんでもない話だ。参戦された方々は責務を果たしたのである。

最後に浅野晃氏の詩集、天と海、英霊に捧げる七十二章より、「アジアの岸の歌」(66〜72章)を、項を改めて掲載させていただく。この詩は、三島由紀夫により朗読され、山本直純により作曲され、詩と朗読と音楽が一体になった、ポエムジカと呼ばれる新しい形式をとっている。

この詩はこの戦いの本質を見事に歌い上げていると思う。三島由紀夫はそれを日本民族の叙事詩であるといった。興味がある方には是非とも全てを読んでいただきたい。三島由紀夫の朗読も是非とも聴いていただきたいものと思っている。

最後に、この戦いに散華された300万余の方々、さらにはこの戦に巻き込まれ命を終わることを余儀なくされたアジア諸国の方々、また敵国として戦い戦死された方々のご冥福を謹んでお祈りいたします。また、傷病された方々のご多幸をお祈りいたします。
瞑目、合掌。





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