閑話休題:SF映画を見ていたら

何で「天の……」と言うのだろう

「冥王星=天の香具山」説、その2

 

 「ストランデッド」というSF映画を見ました。2001年に制作されたスペインのSF映画(監督:ルナ)です。スカパー(CS放送)の解説は次のように書かれていました。

 

 有人探査船が事故で火星に不時着する。副長のスザナ以下5人の乗組員が生き残るが、酸素漏れが発生し、限られた食糧と酸素では救命艇が来るまで全員が生き残ることはできない。エンジニアのルカの計算で、3人が艇を離れれば2人は生き延びられると判明、全滅を免れるため船に残る2人を選ぶことにする。厳しい選択の末、酸素漏れのする船に2人が残り、3人が船外に出ていくが・・・。

 ハリウッド製の映画に食傷気味だったので、SF好きの私には新鮮でした。特に、酸素が欠乏し、最初の1人が死んでゆく場面で、E・R・バローズ(類猿人ターザンの作者)の「火星のプリンセス」の話が語られ、その時、二つの月が、赤い火星の大地のあらわれる場面が印象的でした。

 地表の近くに、いびつな形のじゃがいものようなフォーボスが、われわれが見ている月ぐらいの大きさで(地表より6000キロ)、ダイモスはその遙かかなたに(地表より2万キロ)、金星ぐらいの大きさに見えていました。「西洋人にも花鳥風月の感覚があるのか」などと馬鹿なことを考えている時に、「両児(ふたご)の島、天の両屋(ふたや)」という、古事記の言葉がふと浮かんできたのです。すでに『直観的思考の点描2 本居宣長と古事記』の中で、両児の島、天の両屋というのは、火星の衛星のことではないかと書きましたが、映画を見ていたら、この言葉が何の違和感もなく、自然に浮かんできました。

 その時、ハッとしました。「天の……」という表現は、それが天にあるから名付けられたのではないか。地表から空を見上げた時に、そのように見えたから付けられたのではないかと思ったのです。古事記には、「天の……」という地名がいくつかあります。しかし、土地の名前に「天の……」とつけば、そのまま素直に受け取れば、その土地が「天に」なければなりません。もしくは、その様に見えなければなりません。

 例えば、日本三景の一つに天橋立(京都府宮津市)がありますが、写真をみると、それは、確かに天に浮かんでいるように見えます。


 ここより望まれる景色を「飛龍観」と呼び、龍が天に舞い上がる姿を現していると言われます。天橋立と言えば「股のぞき」と言われておりますが、股のぞきをすると、天地転倒の逆転効果により、松並木が空中に浮かんだような錯覚を起こし「天の釣り船とも天にかける橋」とも言われております(http://www.viewland.jp/)


と説明があるとおりです。

 しかし、日本の地名がいったい幾つあるのかわかりませんが、「天の……」というのは、天橋立くらいしかみつかりません。それに引き替え、古事記の「島の生成」では、天(あめ)の忍許呂別(おしころわけ)、天比登都柱(あめひとつはしら)・・・と「天の……」のつく名前が6つもあるのです。『(天御虚空豊秋津根別(あまつみそらとよあきつねわけ)入れれば7つ。空にあるというよりも、空に満ちているととれるのではずしました。』

 たった14の地名に6つというのはちょっと多すぎる気がしませんか。そこで、再び調べて見たくなりました。まず、太陽系の「衛星」と思われる「6つの島」の名前にに注目してみますと、

惑星名
直径(地球を1)
衛星数
衛星の古事記での名前
衛星の古事記での別名
水星
0.38
0

金星
0.95
0

地球
1
1

女島(ひめじま)

天一根(あめのひとつね)

火星
0.50
2

両児(ふたご)の島

天の両屋(ふたや)

木星
11倍
16

大島(おほしま)

大多麻流別(おほたまるわけ)

土星
9.4倍
18

小豆島(あづきしま)

大野手比賣(おほのでひめ)

天王星
4倍
15

吉備(きび)の児島(こじま)

建日方別(たけひがたわけ)

海王星
3.9倍
8

知詞(ちか)の島

天の忍男(おしを)

冥王星
月よりも小さい
1

泣澤女(なきさはめ)の神

表1

 「天一根(あめひとつね)」にあたる、地球の月は、地表から肉眼で見ることができる星ですし、火星の「天の両屋(ふたや)」はすでに話した映画の映像の通り、やはり火星の地表から見ることができそうです。だから、空を見上げてみえるので「天の……」とつけたと思うのです。

 水星や金星には月はないので、当然「天の……」のつく名前はありません。木星、土星、天王星はガス惑星ですから、地表におりることはできません。降りたら、ものすごい大気圧のため、たちまちペシャンコです。ですから、当然、地表から見ることは出来ないので、これにも「天の……」という表現が出来なかったと思うのです。

 

 ただ、そうすると海王星もガス惑星なのですから、地表におりることなどできそうにありません。これでは、つじつまが合わなくなってしまいます。こういうことから、この考えをあきらめかけていたのですが、どうしても捨てがたく、googleで「海王星 地表」という二つのコトバで検索してみました。すると、

 

天王星 <蒼緑にかがやく太陽系の灯台> ・・・地球の約4倍の直径で大きさは67倍、重さは地球の14.5倍ですが密度は小さく1.3 。やはりガス惑星で水素、ヘリウム、メタンの大気層と氷のアンモニアが浮かぶ海があります。ですからガス惑星ながら、地表に降りようと思えば降りられます。………

 

海王星 <氷の海でおこる大自然 −最果ての地へ−> ガスでできた惑星で地球の60倍の大きさがあります。海王星もメタンの大気があるので蒼い星ですが、天王星より大気変動が激しく、暗班と呼ばれる大きな渦状の模様が現われたり消えたりします。木星の大赤班のようにずっとあるわけではありません。 温度は−240℃。完全シールドの宇宙服をご用意ください。…。

(http://www.cloudtown.halfmoon.jp/)

と書かれていました。どうやら天王星とともに海王星も宇宙服を着れば、地表に降りることもできそうです。降りれば見ることができるのかというと、天王星の衛星群は直径40〜160キロ程度の小さなものがほとんどなのと(古事記では「吉備(きび)の児島(こじま)」)、大気も複雑そうですので、地表からは見ることができないと思われます。

 しかし、海王星から35万キロの軌道を、海王星の自転方向に逆回りする、直径2700キロのトリトンならば、海王星の衛星の中では飛び抜けて大きいといわれているのですから、また、大気も単純そうなので、見ることができるかも知れません。ちなみに、月は直径3500キロ、地表からの38万キロの距離を回っていますから、月と大差はないので、われわれが月を見ているのように見えるのかもしれません。

 そうすると、6つ島については、「天の……」という古事記の表現とつじつまが合ってきます。こんなことから、だんだん、古事記の島は地上にあるのではなく、やはり天にあり、太陽系の惑星や衛星と考える方が自然のような気がしてきました。

 更に、8つの島、つまり太陽系の惑星ついても考えてみました。古事記の出展順を無視して8つの島に相当する惑星を、太陽より近い順に並べ替えると次のようになります。最初の数字が太陽からの順、次の数字は古事記の出展順、つまり神様が8島を作った順番です。9番目の冥王星は、8島に入りませんが、8島ができた後に入って来た星であることと(直観的思考の点描2 本居宣長と古事記を読んでください)、冥王星にあたる香具山の枕詞には「天の」がつきますので、ここに入れました。

惑星順
古事記の順
惑星名

惑星の古事記での名前

惑星の古事記での別名

1
5
水星

伊岐(いき)の島

天比登都柱(あめのひとつはしら)

2
6
金星

津鳥(つしま)

(あめ)の狭手依比賣(さてよりひめ)

3
8
地球

大倭豊秋津島(おおやまととよあきつしま)

天御虚空豊秋津根別(あまつみそらとよあきつねわけ)

4
7
火星

佐渡(さど)の島

5
2
木星

伊予(いよ)の二名の島

6
4
土星

筑紫(つくし)の島

7
1
天王星

子淡道(みこあはじ)の穂の狭別(さわけ)の島

8
3
海王星

隠岐(おき)の三子(みつご)の島

天の忍許呂別(おしころわけ

9
9
冥王星

天の香具山

表2

 そうすると、最初と、最後の二つの太陽系惑星に「天の……」がついていることになります。これは、九つの惑星に全部に「天の………」といれたら、煩雑になっちゃうので、始めと終わりにつけて、「間の五つの惑星には「天の………」とつけてはいないが、本当は、全て空にあるんだよ」といっているのではないでしょうか。

 それに、古事記にあらわれた伊岐、津鳥、佐渡、伊予、筑紫、淡道、狭別、隠岐のなど名前を、土地の地名としてしまっては、「天の……」という意味が通じなくなってしまいます。対馬(津島)や壱岐の島、隠岐の島には、別名で天のという表現がありますが、では、なぜそれらの島だけに「天の」という表現があって、佐渡島にはないのか。壱岐の島や対馬は天にあるように見えるでしょうか。別段、特別な島とは思われませんが。

 こう考えると八島の名前を、地名とすると、どうしても意味が通らなくなってしまうのです。それに、大八島が日本列島というのならば、本州大倭豊秋津島(おおやまととよあきつしま)、四国(伊予(いよ)の二名の島、九州筑紫(つくし)の島)があって、北海道にあたる表現がないのはおかしいじゃないですか。

 また、奈良の飛鳥にある畝傍山、香具山、耳成山は大和三山といわれていますが、香具山だけに「天の」という枕詞がついて「天の香具山」と呼ばれています。なぜ、天の畝傍・・、天の耳成・・と呼ばないのでしょう。「天の」を地上の地名とすると、このようにおかしなことになって意味は通らなくなるのですが、私の説では、香具山は冥王星にあたりますので、それは天にあるから、その枕詞がついたのです。どうです、この方が意味が自然に通るでしょう。

 さらに、香具山ついて、『伊予の国風土記』に

 伊与(いよ)の郡(こほり)。郡家(こほりのみやけ)より東北(うしとら) のかたに天山(あめやま)あり。天山と名づくる由(ゆゑ)は、倭(やまと) に天加具山(あめのかぐやま)あり。天(あめ)より天降(あも)りし時、 二つに分(わか)れて、片端(かたはし)は倭の国に天降(あまくだ)り、 片端はこの土(くに)に天降りき。因(よ)りて天山と謂(い)ふ、本 (ことのもと)なり。

と述べられ、天から降りてきた時、二つに 分れてたといっているのです。もう一つは「天山」というのだそうですが、冥王星を回る衛星のカロンはその軌道が近すぎることから、「冥王星とカロンは惑星と衛星というより連星系といえる」といわれているのですから、天にある時も二つなのです。どうです、ここでも、古伝承と一致しますね。

 ですからここは、素直に「天の……」は、「天にある」と考えて、太陽系の惑星や衛星に当てはめてみる方がすべてに於いて自然なのです。それが事実だからです。

 それから大倭豊秋津島(おおやまととよあきつしま)というは日本と思われていますが、そうではありません。ヤマトというは「八つをまとめる」から「やまと」なのです。つまり、八つの太陽系惑星冥王星は地球の月よりも小さいから太陽系惑星としては不適なので外す)をまとめる、という意味で地球のことです。人間のいる星は地球しかないので、地球が八つの惑星の中心なのです(もっともカオス理論でいう、地球の自己相似の地が日本ということは考えられますが)。というわけで、ますます、古事記の島=太陽系説が確かなものになってきたでしょう?。

 でも、望遠鏡や観測衛星など持てるはずもない古代人が、どうして太陽系の惑星や衛星の数や特徴を知ることができたのでしょうか。それを次のコメントで述べてみたいと思います。

追伸

 これってホント。実は書いている私も半信半疑です。それを決定的にするのは科学で立証された太陽系の惑星の生成の順番が、表2の古事記の中で、神様が惑星を創った順番、すなわち天王星、木星、海王星、土星、水星、金星、火星、地球の順番と合った時です。それにしても、太陽系の惑星の生成の歴史はどこまでわかっているのでしょうか。すくなくとも、地球より火星の方が早くできてはいるようですが。

2004.10.11

参考HP

天王星・海王星・冥王星行について
http://www.cloudtown.halfmoon.jp/


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