十二種体型で均整法と野口整体のどちらが先かということですが、この論争に終止符をうつ決定打となるのもが次の表です。
発表 |
講題(全国講習会)フォーム→ |
5、6 |
7、8 |
発行 |
S33年 |
12種態性と体質病 |
回旋 |
肋骨 |
S41年 |
S35年 |
身体均整法入門(2回) |
回旋 |
肋骨 |
S43年 |
S38年 |
講座集創刊号(13回) |
肋骨 |
回旋 |
不明 |
S39年 |
講座集第2号(14回) |
回旋 |
肋骨 |
不明 |
注目すべきはフォーム5、6、7、8の違いです。均整法は5、6種を回旋型に分類し、野口整体は肋骨型に分類します。初期の均整法ではこれを野口整体の形に合わせていたのです。
ただ一点の疑問は、これが昭和33年、35年の講義の時は、上の表のよう野口整体の形ではなく、現在の形となっていることでした。おそらく編集の都合から、現在の形にしたのだと思いますが、99%はそうだと考えられても、もし1%の可能性として、最初の講義が現在の形だったら、十二種体型は亀井先生が最初に考えていたということが充分に考えられると思ったのです。
しかし、#898をUPした後で気づいたことですが、35年の身体均整法入門は第2回の全国講習会の記録であることがわかりました。すると亀井先生自ら「(野口整体の形)で過去13回の講習において説いてきた」といっていますので、ここは表に表されているような回旋型ではなく肋骨型で語られていたということです。したがって、これが回旋型で書かれたのは43年の発行時に書き換えられたのだと考えて良いと思います。ということは33年の十二種体型体質病も野口整体の形の肋骨型で語られていたものと考える方が自然だと思います。
これは重要なポイントだと思います。もし亀井先生が最初に説いたならば野口整体の形をとる必要などないはずですから。したがって十二種体型は野口整体で最初に説かれたと言えると思います。
しかし、野村均整研究所の野村宣行先生の書かれた「亀井先生と身体均整法の歩みには」昭和33年に亀井先生は整体協会四国支部が松山市に発足し際には、その顧問になっていると書かれている(原資料は不明)ことから、これが事実とすれば野口先生とは何らかの形で親交があったと考える方が良いと思います。おそらく共同で研究されて、亀井先生もアイデアを出していたのかも知れません。
十二種体型のルーツについてはいろいろ言われておりますが、私は以上のことから野口先生説をとります。しかし、それでは均整法の十二種体型は偽物かと言うとそうではなく、始まりは野口整体でも、考え方の違い、反射の場、操縦法の違いなどから、独自の発達を遂げることになりました。
そして次に述べる治療法に対する決定的な考え方の違いから、均整法と野口整体は歩みをことにしますが、それは手技療法に対する両極ともいえるべき考え方の違いとなりました。
899/899 QZW02663 ビーバー RE^3::RE^11:均整法と野口整体(長文)(10) 98/12/15
均整法が野口整体と何故あゆみを異にすることになったのかについて話してゆきます。その理由を亀井先生は講座集2号(S39年)の14回全国講習会で、
『当初は均整法としては整体と合同すべきであるという見解から出発して、過去13回の講習において説いてきたが、遺憾ながら今日の段階ではそれぞれ別の行動をとり、技術において競争することにより体育の向上に勤めている。一つだけなら独善的になるので技術において競うことは高度なものに仕上げる意味においてはよい事である。しかし、内容が同じか又さしょうの相違なら合同すべきであるが、均整法は根本的理念においても、考え方においても違っていて、十二種体型の研究においてもいささか異なっているので別の行動をとることになった。別の行動をとる事に立ち至ったからには、今後整体に準ずるような説き方は排し、純然たる均整法について述べる』
と述べています。しかし、講座集の15号ぐらいまでは編集がまずく、特に2号のこの部分は結論だけを列記したにとどまり、どうしてその結論を得たのかそのプロセスがわからず、要領を得ないままに終わっています。
また、講座集21号(S45)の34回の全国講習会では
『話は外れるが均整法では、錐体外路系を使うことは、いろいろ不思議なことがあるが害があるので、これを使うことを禁止しているのである。もちろん外路系運動と良い点もあるのであるから、その原理をわきまえて使うならば良いが、多くは興味本位に使って害が多いから、使ってはいけないと言っているのである。』
ここで言っている錐体外路というのは、野口晴哉先生が「整体法の基礎・全生社刊」の「人間における知識以前の働き」のなかで
『人間の運動系には錐体路と言う経路があります。ところがそれ以外に、錐体外路系といって、錐体路系によらない運動の様式があるのです。その錐体外路の働きを訓練するのが活元運動であります。・・・したがって、人間が生きているという面において一番大事なことは、知識以前の問題、技術以前の問題、あるいは自然にある本能といいますか、そういう力、そういうはたらきの問題であります。それを知識や技術に求めてみても得られないのではないだろうかということに至りまして、体運動の中で無意識的に働いてしまう外路系の働き自体を敏感にするにはどうすればよいか、そこで外路系の働きそのものを使って訓練する方法を活元運動と名づけて、五十年ほど前から行ってきたのであります。その誘導は愉気によって行います。・・・愉気をしていますと、柱のように硬張ってしまった人以外は、みんなひとりで動きだしてきます。』と述べられています。
この錐体外路はわれわれ治療家にとって、とても重要な意味を持つ概念だと思いますが、野口整体と均整法が分かれるきっかけとなったのは、この「錐体外路系」をめぐる考え方の違いからだと思います。
亀井先生の説明を借りて錐体外路を説明しますと、先生は「刺激の基礎原理」(昭和46年2月・機関誌26号)の中で、「骨格筋は生理学的には随意筋といわれているが、この名称は錯覚を起こしやすい」と述べて興味深く解説されています。以下は私の解釈を要約します。
筋肉が随意筋といわれるように、意志の力によって働くのならば、治療家は必要なくなるわけです。なぜならば、肩が凝ったり、骨格がゆがんだりするのは、ある筋肉が必要以上に収縮するからですが、しかし、その筋肉が意のままになるとしたら、他人がそれを緩解する必要はなく、自分で筋肉を緩めて治すことができるはずです。「肩が凝った」と感じたならば、そこの筋肉を自分で緩めれば良いわけすから治療家などいらないのです。
しかし、生理学的には随意といわれている骨格筋が、そうはならないのでわれわれが必要になるのですが、これは「随意筋といわれる骨格筋にも不随意の部分がある」と考えてもよいわけです。それを錐体外路系による緊張と考えたのが野口先生と亀井先生です。したがって、錐体外路系の緊張を緩解することこそ治療の要となるはずです。しかし、この外路系の緊張をどの様にして緩解するのか、その方法論においてお二人の考え方は対立しました。
野口先生はそれは無意識によるものと考え、その無意識的な緊張の解放がこそが、治療の要であると考え、活元運動という、一種の瞑想状態のなかで、筋肉の緊張を解いてゆく方法を考案されました。活元運動を治療の、いや生き方といった方が良いのかも知れませんが、それを中心に整体法を構築されたと言っても良いと思います。
対して、亀井先生は、その活元運動に疑問を持ち、あくまでも医学という科学の領域での(活元という瞑想法に頼らない)緩解を模索し、反射の概念に行きついたのです。これには活元運動に疑問を持ったある事件がきっかけとなったようです。昭和45の第34回の全国講習会でそのことが述べられています。しかし、その内容を記録した講座集21号にはその事件は割愛され書かれていません。ですからわれわれ均整法を学ぶ者も、なぜ活元運動が均整法で禁止されたのか要領を得ないまま今日まで来ていました。
しかし、ひょんな事から、私の手元に、この21号の編集者、黒田長一先生が、講習の内容をテープより起こたままの、整理して編集する前の原始情報ともいえるノートが手に入りました。以下そのまま抜粋します。
『定石を知らないで、つまり錐体外路系というものがどういうものであるかを知らないで、外路系運動を発動すると、長所もあるが、面白いものであるから、一つには面白いので使うのである。自然に不随意運動が始まるのであるから、女の人などで、これは下卑た事であるが、掛けてご覧なさい。女の方でご主人が亡くなって春情の起きている時に掛けると、アスコを手でなで回したりする動作をする。人前で恥ずかしくもなくなって自然とやっておるのであるから仕方がないのである。故に害が多いのである。これを見ている連中は、「アアあれは興奮しているんだなー、やあ、やっとるやっとる」と見ている連中は喜んでいるので非常に害がある。良い点より害の方が多い。故に外路系というものはどういう風に発動し、どういうことになったのであるかという原理とわきまえて使うなら良い。良いところだけを使う、学理的に究めるというのは、そのことをいうのである。外路系運動というのはこういう性質があって、こうゆう作用が起こっているのだいうことがわかっていればその使い方がわかるのである。ここは使ってはならないと言うことがわかる。その為には学問を伴わなくてはならないと言いたいのである。』
以上のような亀井先生の経験から「興味本位に使って害が多い」ということになったのだと思います。したがって野口整体に歩み寄ろうとして活元運動を一時は容認しようと考えたようですが、活元運動そのものに、どうしても納得がゆかず、『内容が同じか又さしょうの相違なら合同すべきであるが、均整法は根本的理念においても、考え方においても違っていて、十二種体型の研究においてもいささか異なっているので別の行動をとることになった。』ということなのです。
では、均整法ではこの錐体外路の緊張をどの様にとるのか、それは次のコメントで述べられたら述べてみたいと思います。
915/915 QZW02663 ビーバー RE^4::RE^11:均整法と野口整体(長文)(10) 99/03/
『活元運動を指導したり見たりする側が、興味本位で発動させるとか、テープから起こされたノートにあるようにそういった運動をそういうような目でしか見られないとしたら、そういう人はそもそも学ぶ立場・資質にはないと思うし、活元運動自体がそういう人にとっては何の意味もなくなってしまうと思います。ただ、私はそんな活元運動は見たことも聞いたこともないので、その時のその事自体が、学ぶべき立場・資質のない人がある種の先入観(先取情報)を持ってその運動を行なっていた人を見ていたのではないかと疑ってしまいます。
性欲が非常に高まっている時に活元運動をしてみても、そのような動きは出ませんでしたよ。(^^ゞ 百歩譲って、そういう先入観(先取情報)を持ってそういう運動を見たとしても、その程度にしかその運動を理解出来ないのでは、どうしようもないと思います。』
たしかに私の書き方では活元運動がいかがわしく思われてしまいますね。私が活元運動に抱いているイメージをお伝えすると、それは禅と同じではないかと思います。その目的も同じで、「こだわりなく、あるがままに、今を生きる」と言うのが活元運動の目的ではないでしょうか。禅も座ってやれば座禅。立ってやれば立禅になりますが、体を整えながらやったら整体禅?。活元運動とはそういうものではないのでしょうか。
gooで検索していたら「あざみ野通信(http://plaza.harmonix.ne.jp/~sunami/)」で、活元運動について述べられていました。読んでみると、とてもさわやかな文章で、それから察しても、活元運動を続けておられると自由に生きると言うことが自然にできて来るのだなという印象を持ちました。
指摘された部分の言っていることも理解できるし、亀井先生の言いたいことも理解できる。困りました。ご指摘の部分は氷山の一角のように、内に複雑で広大な問題をはらんでいます。寮術が禁止されるかもしれないという歴史的な背景、均整法という組織の内部問題、亀井先生の人柄、人間の意識の底流に潜む抑圧の問題、それに対処するときの治療家としても心構え、魔境という問題、さらには魔境にいたらないための防止策等々。
はじめは、この一つ一つに答えるために文を書きました。しかし、次第に言い訳をしているようでいやになってしまい、以下に述べる事柄だけに絞りました。これは先に上げたテープの前の部分です。
『・・・私などのような初期の時代の治療師というものは・・・精神統一したり、・・・錐体外路系の運動を早くから使っていた。亡くなったT先生は名人だった。私などがまだやっておられない頃から掛けて面白がっていた。これには不思議なこともいろいろある。・・・私は自分で使って見て納得してからでないと良否は決定しない性質であるから、使ってみて、いつからこういう技術が発展したのかという発生の動機から調べてみて、自分だけではいけないから外国の文献を調べてみて、その結果害があることがわかってきた。その結果からお止めなさいと言っている。トルストイのアンナ・カレリーナの中にフランスから来た祈祷師がそれを使う場面が出てくるが、・・・ドイツあたりではそれがために裁判まで裁判沙汰まで起きている。
・・・将棋でも定石通りにはなかなかゆかないが、定石を知っていれば害がないという意味である。その定石を知って錐体外路どういうものかを知って使えば害がないのである。定石を知らないでつまり錐体外路というものがどういうものかを知らないで、知識がなくて錐体外路運動を発動すると、・・・』ということで、先の文章につながります。
W先生という亀井先生の身近にいた方から次の様な話を聞きました。青森の片田舎で四国に亀井進という人物が均整法という技を教えていると聞きつけ、はるばる四国まで汽車を乗り継ぎ、乗り継ぎ24時間かけて、全国講習会に参加した。しかし、あまりの長旅でつかれてしまい、講義を聴いていることができず、後ろの方で大の字になって寝てしまった。おまけに大いびきまでかいていたようで、うるさいのので小関先生(当時協会の理事)が、足を持って廊下に連れ出そうとしているところで気がついた。
「こんな思いをして来た俺を外に出してみやがれ。貴様の講義など聞くに値するものか」と開き直ってどうするのかと目を閉じ、されるままにしていると、亀井先生から「何故、外に出すのか」と大声で一喝され怒鳴られたのは小関先生だった。「うるさいから、他の人の迷惑になる」と小関先生が言うと、また早口の大声で怒鳴られて「うるさいと思うのは講義に実を入れて聴いていない証拠だ。集中力が足りないからだ。眠っていても毛穴からでも講義は入る」と怒鳴られていた。
W先生は「亀井先生は俺の気持ちを判ってくれた」と感激され、この亀井先生の優しさを、ぜひ後輩の人に知っておいてもらいたいと、はるばる会が分裂したときに研修会に尋ねてこられて話をしてくれました。
以上は情報量を増やすという意味で載せておきます。判断はらくらくさんや読者の方にゆだねます。次にこの問題の最も核心的な部分に移ります。
ここで「錐体外路の運動」とあえて一般化してることに注意して欲しいのですが、ここで述べられたことは活元運動に限ったことではなく、禅にせよ、瞑想にせよ、催眠にせよ、ヨガにせよ、バイオフィードバックにせよ、タンクに入って行う感覚遮断法にせよ、無意識(潜在意識)にアクセスしてそれを活用する全てのテクニックを含みます。それらはASC(Altered States ofConsciousness)とよばれ日本語では変性意識状態と呼ばれています。
このASCの学会で魔境という言葉がそのまま英語になりました(スペルはあやふやなので省略)。池見酉次郎博士(九州大学心療内科)が白隠禅師の話をしたことがきっかけでした。
白隠禅師の墓の周りにはそれを取り巻くように小さなお墓が並んでいるそうですが、それらは白隠禅師と共に激しい修行をしていて、幻覚などを見て気が狂ったり、病気になったりして、志なかばで亡くなられたお弟子さんのお墓だそうです。禅師もまた一命を落としかけます。「心火が逆上し、精が枯渇し、両足は水の中につけたように冷たく、両耳がガンガンし、心が常にビクビクとおびえ、不安や恐怖心のため夜も眠れず、悪夢に襲われ、心身ともに衰弱の極みに達した」と 「夜船閑話」に述べられています。この状態を禅師は「軟酥(なんそ)の法」を行って癒すのですが、この話がきっかけで魔境が英語になりました。
つまり、無意識(潜在意識)にアクセスしてそれを活用する全てのテクニックには、魔境という危険が伴っているのです。亀井先生が「錐体外路系(潜在意識)は知らないで使うと害がある」といったのは、こうした魔境に陥らせないための警告のように受け取れるのです。そして均整師にはそれを使うことを禁じたのだと思います。
しかしながら、こうすることによって治療師としても大事な側面も奪われることになるので、この問題が野口整体の必要性へと発展すると思っています。また魔境に陥らないためにはどうすればよいか、これは均整とは離れますが20年近くにもなる私の瞑想体験をふまえて、次のコメントで述べることにします。
937/QZW02663 ビーバー RE^2:野口整体の体癖と活元運動(10) 99/04/08