私も無資格で営業してますが

  パソ通(ニフティー)の漢方フォーラム(FKAMPO)の10番会議室(漢方の周辺・手技、民間療法など)で、次のような記事(559)に目が止まりました。

−カイロプラクティック・整体等 被害者救済実害110番−

 ご存じですか?カイロプラクティックや整体が無免許・無資格であることを。カイロや整体は無免許・無資格です。国や県が認めた学校・施設はありません。見よう見真似で覚えた素人まがいの危険な治療です。無責任な誇大広告に気をつけて、正しい治療を受けましょう。・・・カイロ・整体等 無資格業者・撲滅総決起大会・・・

  私も均整法という無資格の手技療法で営業していますので、しかも最初にダウンロードしたのが、この題だったので、半ばびっくりして、半ば興味深く読ましていただきました。しかし、やむなく無資格で営業せざるをえないものの立場も分かっていただきたいので、コメントしました。

  言いたいことの第一は、「カイロや整体は無免許・無資格です。国や県が認めた学校・施設はありません。」という「国」のことですが、この「国」とは何を指すのでしょう。

  私は均整法を2年間、姿勢保健均整専門学校で勉強しました。この学校は文部省の専修学校医療分野の専門学校として認められております。しかし文部省では認められたものの、厚生省の方には認められておりません。すでに幾度となく認可を求めに行ったのですが、鍼灸、按摩・マッサージ・指圧、柔整のように国家試験を行う、医業類似行為が認められるレベルまでにはいたっておりません。均整法より会員規模もはるかに多い療術師会やカイロプラクティク協会も同様に学校やきちんとした教育機関持ちながらも認められてはいません。

  つまり文部省は良くても、厚生省はダメということですが、「国」とはこの内のどれを指すのでしょうか。

  また、医業類似行為に昭和30年末、指圧が公認されますが、この時、指圧で有名な浪腰徳治郎先生は療術師会の会員でもありました。指圧は療術の一部なのですが、いわば母体が公認されず、その子供の方が公認されてしまったようなもので、事の成りゆきはよく分かりませんが、厚生省という「国」の判断に釈然としないもの感じます。

  第二に、「国」が法律という立場で認めないのなら、私はむしろアウトロー、まさに無法者の誇りを持って、体制に反対する反体制の誇りを持って営業を続けて行きたいと思っています。

  西洋医学が今日の様に全盛を極める前は、医療は伝承により、地域の特色により、様々な形態をとり発展してきました。豊富な緑のあるところでは薬学が、砂漠のようなところでは鍼治療や手技が、苦しむ人々の役に立ってきました。それらは今日、民間治療として玉石混淆の形で存在しますが、それらは、鍼灸、按摩・マッサージ・指圧、柔整以外にも、整体やカイロや私の均整法などの手技療法として残っています。

  私も日々その技を駆使して営業していますが、病苦に苦しみ、仕事や生活をあきらめかけていた人々が回復し自身を取り戻す姿を見ていると、これらの技の確かさに改めて驚嘆するのです。そして思うのです。これらの技を伝承せねばならないと。もしここで、私たち無資格者が法が認めないからとあきらめてしまったら、これらの技は埋もれて絶えてしまいます。

  かって、鍼灸も明治の西洋化の波の中で西洋医学からゆえない迫害を受けたと聞いております。その迫害に絶えながら町の片隅で細々とでも営業を続けた鍼灸師の方々がいたからこそ、鍼灸は伝承され今日の繁栄を見たのではないでしょうか。法が認めないならそれもいいでしょう。私は反体制の活動家となっても、無法者と呼ばれても、この技術は守りますよ。

  第三に、資格者で営業している人の看板の中には、鍼灸、按摩・マッサージ・指圧、柔整という名の脇にカイロプラクティクと書かれている看板を多く見かけます。「短期間の見習いで、カイロ・整体等を名乗る者も少なくはなく・・・」といっておりますが、この短期間の見習いは、鍼灸、按摩・マッサージ・指圧、柔整などの資格者も含まれていることを考えてください。

  確かに骨をアジャストメントあるいはスラストする事(均整法では骨格均整法として学びます)は、効果も大きく即効性がありますが、危険でもあります。事故を起こす確率も高いのです。従って私たちは学校で学んだ時には、耳にタコができるくらい繰り返し危険性を指摘されます。卒業しますとこわくてなかなか手がでません。しかし、長年の経験で変位が見えてきますと、角度やコンタクトの方法などを学校で習ったことを参考にして工夫して安全に有効に使えるようになります。

  その安全性が確認されなければおいそれと使いませんしそのように教わっています。一人失敗すればそれが死活問題につながるからです。おそらくカイロプラクティクでもきちんとしているところは事情は同じだと思います。きちんとした教育のあるところは比較的安全であると思います。

  むしろ恐いのは、短期間で習つた人々です。短期ですから危険性はそれほど指摘されないでしょう。されても通りいっぺんだと思います。そして見よう見まねでやった人々が事故を起こすケースが多いのではないでしょうか。当然のごとくその中には先に指摘したように資格者が含まれます。

  危険は資格、無資格というのではなく、きちんとした教育が行われるか否かではないのでしょうか。長い伝統がある手技の技術を資格、無資格という低次元の問題にすり替えて欲しくない思います。

571/QZW02663 ビーバー 私も無資格で営業してますが (10) 96/03/18


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