埋もれていた手技療法の統一原理2

反射編

 『傾斜圧』を正す為には『反射』を用いるのだと亀井先生は説きます。

 我々均整師は神経反射を得るための手段として手をいろいろ使い分けていかなければならない。使い分けは圧迫、叩打、振動、ゆさぶる、痛刺激等いろいろな手段がある。その手段を種々使って反射を得る。その反射は何のために得るのかというと、一つの現象を生体に現そうとするためである。現象とは反応である。

 鍼灸の方ならば、反応を得るための手段として鍼、灸をつかうが、均整法では手段として手の刺激を色々と使い分ける。手を用いると云っても、鍼でも灸でも只手段なのであるから、それは何でもよいのである。使い方が違えば反応も異なる。

刺激の基礎原理(機関誌26号)1971.02.08より要約

1. 我々は反射を生じさす為に調整しているのであるから、反射が起きてくれなければ異常感も拭い去れず病気も治せない。刺激が内界に反射するから、手や足を刺激して頭が変ったり眼が変化したりする。反射作用がなければ、刺激した処だけが調整されて、内臓まで変化を与えることはできない。外部の刺激が内界に伝達されるから、その刺激に応じた現象が起きてくれる。手技の巧拙は刺激の与え方如何にある。・・・・

1. 人体にかゝわりのある反射には、多くの種類があるが、その中で我々身体均整法の学徒にとって最も興味のあるのは、脊髄反射の研究であろう。我々は脊髄神経を中核にして調整を加えている。脊髄反射の究明が徒手操作の主題であると思ってよい。

臨床上の刺激反射の基礎(機関誌20号)1971.6.15

 以上のように、傾斜圧を緩解する方法を反射に求めています。しかし、この反対の方向、すなわち傾斜圧を生み出す反射については講座集や機関誌を探ってみましたが、どこにも書かれてはいません。先生ご自身、この方向で探ろうとしていたのかは今となっては不明です。あるいは探してはみたものの、それを解明する有力な医学論文を発見できなかったのかもしれません。以下の記述は、昭和47(1972年)11月の42回全国講習会(奈良)で類別克復法「腹腔内の充血」で述べられた「刺激の本」作成苦心談です。その部分のみテープを起こしてみました。

昭和47(1972)年7月仙台で約束した「刺激の本」作成苦心談

 お腹が痛む場合は充血している場合が多い。痛みというのは貧血性の痛みと充血性の痛みにわけられっる。酸素の供給が足らなくなって体液の状態が乱れて起きるものと、あまりそれが大きすぎて痛む場合とがある。その場合は胸椎8、9番、腰椎1、2番のうちのどれかを調べてみれば、これのうちのどれかに異常がある。異常があれば血液の状態が乱れているのだから、このどれかを調整する。

 ただ、胸椎の8、9、腰椎の1、2にしても神経は皆そうだが、腹部の血液の状態だけでなく、このほかにも色々な作用がある。同じ神経のところで、色々な病気が治るということが説いてあるというのは、おかしいでしょう。同じ所を触ったら全部効きそうなものだが、それはテクニックの相違によって決まるのである。

 治す場所を教える本は沢山あるけれども、その場所を「どうすれば良いのか」という事を書いた本は一つもない。いかなる刺激をくわえるのかということが問題であって、場所はわれわれには問題ではない。どう処理するのかという問題なのである。いろいろ講習をやり、場所はここだと教えるけれども、そこをどう処理するのかという、処理方法を教えるてはいない。これは不思議。

 そこで、近代医学の色々な法則から、われわれの体験からをあわせて、学問的にできるだけ説明をくわえて、基本になるような刺激の本を作り上げようと思いましてね。そうすると皆も喜ぶだろう。針師も灸師にも、お医者さんの為にもなるし、われわれの為にもなる。いつも気にかかっていたのだ。誰もやったこと無いから。

 ところが今度の講習には間に合なかった。かかってみたら、なるほど、人が手をかけていないものだけあって、どうなっているのかわけがわからない。こんがらがってしまった。

 参考書はずいぶん積み重ねておるのだけれども、読むのだけで大変なのだ。机の上だけではなくってね、全部検討せねばいかんでしょう。また、甲の学者はこういう。乙の学者はこうだという食い違いもあるし。それを全部集めてみて、その点に線を引いて、肝心なものを先に原稿にして書き写してもらってミックスする。全部の本を読むのは大変だから、それをやってもらうんですけれどもね、なかなかいけませんわ。

 これはえらいことを言ったものだと思っているんだが、それでも誰かがやらなくっちゃ行けない、未完成でもかまわんから、世界中の名だたる学者の本を集めて、その言っていることを全部総点検して、わからんやつは「何々博士はこういっとる」と言うようなことでも良いでしょう。それでも良いから、それを並べ立てようと思っている。今、そういう作業にかかっているんですよ。

 かかっとるけれども、本を読むのだけでも大変だ。疲れてくると、本棚に積み重ねてある日本の歴史を読んで、そしてまたこれに目を移すという方法でやりおるんですが、なかなか作業が大変なのです。活字を見ていると目がかすむ。ものを書きよるでしょう、すぐ活字がちってしまって書けなくなってしまう。葉書一本書けない。

 だから早く体を治さないといけないと思って、歯の手入れをしている。それをしないと物が食べられない。だいたい昼飯に一時間ぐらいかかる。体力がないからすぐおっくうになってしまう。それじゃたまらん、次の講習の5月までだいぶ間があるし、その間に歯の手入れもできるだろう。そうすれば物もおいしく食べられるだろう。だから、まず物がおいしく食べられるようになることから、体の養生から、かからにゃならんと思い歯の治療をしている。

 目の手入れもせにゃいかん。赤十字に健康を調べに行ったら、血液が汚れて一酸化炭素中毒の後遺症のような症状があると言われた。しかし、内臓には異常ないがという。その時「視力もちるんだ」と言ったら、右の乱視は認めるが、左の目などはまだ10代20代の目だと言われる。老衰はしていないと言われたが、それでも先生「見えないのはどうしてか」言うと、左右がアンバランスになっていると言われる。左は正常の目で右の目が乱視と来ているので始末がつかん。

 それで眼科の医者に測定してもらって眼鏡屋に行ったが、眼鏡もなかなか合う物がない。眼鏡屋も「あなたの左の目はすばらしい目をしていますなー」などとほめてくれてもねー、ほめられても見えないのではしょうがない。目がちって長いこと時間がもたん。それで頭が疲れ、後頭部が痛んでしまう。それで厭になるから、よしてしまう。なかなか進まない。

 若いときにやっておけばそういうような気力があるのだけれども、年をとってやりだしたものだから、始末がつかん。まーいずれは作りますけれどもね。

 このように、相当難航した様子が述べられていますが、おそらく、当時の医学界では反射についてはあまり解明されておらず、適切な医学論文も少なかったのではないかと思います。あたかも、「反射」という方角は合っていても、「理論」という燃料がないため、途中で失速してしまう飛行機のように、目的地にはたどり着けなかったのではないでしょうか。

 また、体も相当弱っていたようです。亀井先生が過労による肝臓傷害と血圧急騰のため倒れられたのは、この講習会の7ヶ月前、昭和47(1972)年3月10日のことです。ですが、翌月の4月23日には第40回の全国講習会でご講義をされています。そして、7月の41回と、この11月の42回全国講習会ですから、体を休める暇などなかったのでしょう。

 そのようなわけで、傾斜圧と反射の結びつきを亀井先生ご自身は解明されませんでしたが、亡くなられてから26年もたったのですから、世の中もずいぶん進歩しました。この知識を使えばこの溝を埋めることができます。すでにその一部は「手技の基本原理」で「人間はロボット」の例えを持ってフィードバックループの仮説をたてて、私なりに説明してみました。そして、これで私の役目は終わったと思い、以後、このような理論化の方面は私の任ではないと遠ざかろうとしました。

 なぜなら私は学者ではなく治療師という職人です。職人には学問など必要ないというのが私の持論です。例えばピアノの調律師が弦の弾性限界とか膨張係数うんぬんなどと言う、物理学的な知識などなくても立派に調律はできます。ピアノの前身のチェンバロという弦楽器は300年前にはにできていますが、そのころの調律師は現代の物理学の知識などなくても立派に調律していたと思います。同じように職人としての治療師は人の体を手を通して知れば良いので、大それた医学知識などある程度知っていれば良いと思うからです。昔、名人と言われる人たちは、今の解剖学も生理学も知らなくても、それでも立派に治しています。

 しかし、「手技の基本原理」をニフィティーのパソコン通信で発表後、おなじ均整師であるGooponさんという方から筋肉に働く神経のことで質問を受けました。はじめは彼が何をいっているのかちんぷんかんぷんでした(FKAMPO漢方の周辺(手技民間療法など)958)。はじめは「理屈で考えるより体で試せ」と正直思ったものです。しかし、そこに無視し得ない何かを感じていました。そこで筋肉に働く神経とはどのようになっているのか、あらためて勉強してみました。すると前のコメント「手技の基本原理」で不明のままだった歪みのフィードバックのメカニズムがいくらか見えてきたのです。そして、亀井先生の果たされなかった「傾斜圧と反射の結びつき」を解明できる仮説を思いつきました。ミッシングリンクはつながったのです。

筋肉の中立点

 その前に例によってまた話を飛ばします。今度は私の趣味のフライトシミュレータ。Macでマイクロソフト社のフライトシミュレータ4は操縦桿で操縦しようすると、例えば飛行機を左に急旋回させ後に、操縦桿を中央に戻してみると、正常ならばコンピュータの中の飛行機のエルロンも中立状態になるのですが、そのようにはならずに、左に偏ったどこかに中立のポイントがずれてしまうのです。それを正すために右に急旋回させますと、さらに左にずれて行ってしまいます。そんなわけでコントロール不能となり墜落してしまいます。これを起こさせないために急旋回をおこなわずに、穏やかにそーっと操作するのですが、それでもしばらくすると次第に中立点のズレが拡大しまた墜落です。これはMFS4が持つプログラムの欠陥のようです。

 何で、こんな話をもち出したのかと言うと、筋肉にも中立点があるのではないかと考えたのです。わたしたちは今まで、筋肉を緩めることが調整であると考えてきました。しかし、これは間違っていたのかも知れません。前のコメントでも記したよう筋肉を完全に緩めてはいけないのです。またそれはできることではありません。そして、筋肉には「程良い緊張状態」が必要なのです。緊張しすぎもせず、弛緩しすぎもしない中立状態が必要なのです。

 もし、全ての筋肉が完全に弛緩したとしたら、われわれは立つことはおろか姿勢を維持することも出来なくなります。映画、船乗りシンドバットの中で魔法をかけられて骸骨があたかも生きているように動き回りますが、魔法が説けるとその場で崩れ骨の固まりとなってしまいます。われわれの筋肉も完全に弛緩しますと、まったくそのようにその場に崩れおれてしまいます。反対に完全にすべての筋肉が緊張してしまったら、関節は可動性を失い、コチコチの状態になり動くことはできなくなります。筋肉は「程良い緊張」を維持していなければならないのです。

 私は筋肉を緩めることを治療と考えてきました。しかし、これは間違っていたようです。筋肉は弛緩させすぎてもいけないのです。治療とは筋肉を「程良い緊張」状態に戻してやることなのではないでしょうか。この程良い緊張状態のことを生理学ではトーヌスと呼んでいます。

 ただ、あまり一般的ではないようです。医歯薬出版の医学大事典でtonusと引いても出てきません。筋トーヌスということで出ていましたが、単に「筋緊張」と訳されていました。これは日本語訳が適切ではないような気がします。

 他の医学事典で筋緊張(muscle tonus)は安静時の反射収縮状態。微弱ではあるが恒常的な筋の緊張状態。この収縮は筋の種々の運動単位の非同期活動(少数の筋線維は活動し、一方、ほかの筋線維は静止状態にある)によって生じる。ことに固有受容器(筋紡錘のことです)を介して興奮した運動ニューロンから由来する低周波(5から10Hz)の放電によって賦活されている。この緊張状態はその神経支配を除去すると消失する。」と書いてありました。

 また、ある辞典では”緊張(性)組織の正常な張力状態。それによって各部分は形を保たれ、敏活で、また適当な刺激に反応していつでも機能できる状態にある。筋肉の場合には、物理的性質に関するものを越える持続的活動や張力の状態をさす。例えば伸張に対する積極的抵抗力。骨格筋の場合には遠心性神経支配による」。また他の辞典では「筋組織が軽い緊張を続けている正常な状態”というのもありました。何となく、どんなことかイメージできますね。

 さて、とにかく筋肉は「程良い緊張」を続けている必要があるのですが、緊張と弛緩の間の中立状態といっても良いと思います。したがってトーヌスとは筋肉の中立状態。しかし、この中立状態は固定ではなく、可変なのです。そして、Macのフライトシミュレータの操縦桿のように中立状態としょっちゅう変えて絶えず移動しているとしたら。これが今回のテーマです。

中立点(トーヌス)可変の仮説

 これを考える実験として、三つの容器を用意し、左にかなり暑いと感ずるお湯を、右に氷を少しれた冷水を、真ん中に熱くも冷たくもない体温くらいの水を入れておきます。そして、左手を熱いお湯に、右手を冷水に入れて30秒ぐらいしたら、両手を素早く抜いて中央の容器に入れます。その時何が起こるでしょうか。左手には熱いお湯の感じが、右手には冷たい水の感じがするはずです。同じ温度の水なのに感覚はまったく別に感ずるのです。これを知覚心理学では錯誤と呼ぶそうです。右手と左手の温度を感じるセンサーの中立点がずれてしまったと考えることが出来ます。

 温覚や冷覚はルフィニ小体、クラウゼ小体というセンサーで感じますが、筋肉の中でその緊張度を監視している筋紡錘や腱紡錘もセンサーですからルフィニ小体、クラウゼ小体で起こったと同じような、センサーの中立点がずれるという錯誤は充分に考えられます。

 ではなぜ生命は中立点を固定とせず、可変としたのでしょうか。Macのフライトシミュレータのようなプログラム上の誤りなのでしょうか。そうではありません。例えば赤いサングラスをかけると、世界中が赤一色になり赤に近い色が識別できなくなります。識別できなければ、あってもその存在を感じないということですから、生命にとって大変危険な状態になります。そこで中立点を赤方向にずらし、今まで見えなかった赤い色の差異が識別できるように計っているのです。眼鏡をはずせば中立点は元に戻り、また通常の感覚を維持できます。

 エスキモーの人たちは、私たちが白一色と感ずる色の中に17、8種類の差異を識別していると聞きました。色域の中立点をずらすということで、クレバスの存在を探知するなどして、極寒の白い世界の中で生き抜くための感覚を発達させたのでしょう。

 中立点を可変とすることによって生命は積極的に錯誤を有効利用しているのです。実に巧妙に設計されたものだと驚いています。そして、この錯誤は筋肉にも存在するのではないでしょうか。その錯誤を利用して私たちはいろいろな物事を成し遂げているのだと思います。

 例えば、バイオリンを弾くことを考えてみましょう。弦を引く弓を右手で操作するときに、三角筋が緊張して腕を上げますが、その緊張が強いと、弓の微妙なコントロールができなくなります。ですから三角筋の中立点を緊張側に持っていって、そこをトーヌスとします。緊張点が中立なのですから、今度は弓を自在に動かせるわけです。

 長い演奏が終われば、もう三角筋は緊張側にトーヌスを維持している必要はなくなります。しかし、時として、そのトーヌスが弛緩側にリセットされない状態になることがあるかもしれません。これが、亀井先生が傾斜圧とよんだ「一群の筋肉が反復性の刺激を受けた場合は、該筋肉はついに強直状態にまで収縮する。もしも刺激が持続的であれば、その筋肉は永久的に収縮状態となる。」という状態なのです。錯誤によってトーヌスのリセットされない状態になっているのです。

 つまり、傾斜圧とは、可変的なトーヌスの中立点が錯誤により緊張側か弛緩側にわずかにずれてしまった状態なのです。では、それはどこで起こっているのでしょうか。筋肉のセンサーは筋紡錘です。筋紡錘の中で中立点がずれてしまっているのです。

 傾斜圧を生み出している反射の異常は「筋紡錘」の中にあるのです。調整とは錯誤によって生じた中立点のズレをリセットして初期状態に戻す行為なのではないでしょうか。それには筋紡錘の感度をリセットすれば良いのです。

 「トーヌスのリセットによる筋肉弛緩の原理」とでも呼べそうな新しい仮説の発見です。こんなことは野口先生も、亀井先生も言っていなかった。おそらく世界中でも誰も言っていないのではなかろうか。とすると新発見ということになりますが、どんなものでしょうね。

 まー冗談はさておき、その為には「筋紡錘とは何か」ということにりますが、それは次のコメントで。

参考文献 意識とは何だろうか 下条信輔著 講談社現代新書

2001.4.27(金)


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