二原則と三原則の系譜

 

均整の二原則

 

「均整法とは何ですか」という質問に対して、多くの先生方は「十二種体型と三原則」のことを述べられると思うのですが、ある意味で、これは間違っていると思います。均整法に三原則と言う言葉はありますが、ほとんどの均整師の方は三原則を使って治療をしてはいません。では、何を使っているのかと言うと、二原則です。二原則といっても均整師であれば首を傾げる方が多いでしょう。しかし、私は均整には二原則があり、多くの先生方は二原則を使って調整をしていて、むしろ三原則よりも重要であると考えています。

 

二原則とは「虚、実」「緊張、弛緩」「鼓舞、抑制」ということです。亀井先生も機関誌26号「刺激の基礎原理」の中で、「全ての刺激は、抑制するか、興奮させるかである。収縮、緊張も興奮と同義。」と言っているのですから、間違ってはいないと思います。われわれ均整師は下のような原則に従って体を観察し、調整しているはずなのです。

 

    抑制法 → 抑制 = 拡張 = 弛緩

    鼓舞法 → 興奮 = 収縮 = 緊張 

 

これは二原則と言うことではないでしょうか。ところがです、先にも言ったように均整法に三原則をいう言葉はあるのですが、二原則をいう言葉はないのです。これが均整法を学ぶものをして、混乱をさせていた元凶ではないかと思うのです。

 

初心者の方は次のような質問を良くいたします。「強弱性は鼓舞刺激ですか、抑制刺激ですか、平衡性は鼓舞ですか、抑制ですか、同じく可動性は・・」と。古参の先生方なら、何ら問題を感じない、質問ですが、初心者には大問題なのです。というよりも均整を学び始めた頃の私には大問題でした。

 

『身体均整法とは、平衡、可動、強弱の三大法則にもとづいて、観察し調整する技術である。』といっておきながら、『体表に現れる異常には、圧痛、過敏、肥厚、硬結、高温、低温、硬直、弛緩、搏動』が現れるといいます。この圧痛や過敏などをどのように平衡、可動、強弱の刺激で調整すればよいのだろうかと、途方に暮れたものでした。

 

もちろん、今ではこれらはまったく別の系統に属するもの、と分かりましたから、矛盾を感ずることはなくなりましたが、当時は刺激をどのように使い分ければ良いのか本当に困りました。

 

均整法が初心者に理解されにくい理由は二原則と三原則を混同してしまうことにあるのです。なぜなら均整法には二原則という言葉がないのですから。「鼓舞」「抑制」という概念はあっても、その原則を示す言葉がないのです。ですから刺激には二原則もあるのだと、二原則という言葉を使って明示してあげる必要があるのです。

 

平衡、可動、強弱を三原則というならば、まさに鼓舞、抑制は二原則だと思われるのです。調整のパターンには二原則と三原則がある。時によりそれらは使い分けられている。ここを明らかにすれば、その原則を使い分やすくなり、均整法の理解もすすむと思われます。古参の先生方は経験によりそれを矛盾することなく、無意識のうちに使い分けているのですが、初心者にはそれがわからないのです。

 

      二原則

       ↓

      傾斜圧(体の歪み)

       ↑

      三原則

 

図示すれば、上記のように均整法は傾斜圧(体の歪み)を二原則と三原則により取り除こうとする技術なのではないでしょうか。亀井先生も二原則という言葉を一度も使ってはいませんが、このようなことから私は鼓舞、抑制の法則を均整二原則とし、その言葉を使うことを提案する次第です。

 

なぜか使われない三原則の調整法

 

また、三原則についても問題を感じています。事実よりも観念が先行しているように思えてなりません。先にも言ったように均整法は三原則を強調しておきながら、実際は三原則で調整している方はあまりいません。私は均整を志して16年にもなりますが、三原則を上手に使い治療している先生は数人しか知らないのです。私を含め均整の多くの均整師は、鼓舞、抑制という二原則をメインに調整しているのです。三原則がもっとも強調されている十二種体型の調整でさえも、三原則よりは二原則で調整されているケースの方が多いように思われます。 

また、講座集、機関誌に様々な調整法がありますが、それらの根底には二原則を基本とするものが圧倒的に多いのです。講座集、機関誌あわせて3,000ページ以上ありますが、そのうち直接、三原則について書かれたものは、意外に少なく10数ページしかありません。間接的にも三原則にふれているものを入れても50ページぐらいなものです。このようかことから、今のところは「三原則は均整の基本ではない」とも私は思っています。亀井先生がそうおっしゃったからと言うのであれば、それは亀井先生も間違っているのです。

 

では、なぜ二原則の調整法が圧倒的に多く、三原則が少なくなってしまうのでしょうか。それは、臨床の場では使いにくいからだと思います。実はこの事情は鍼灸の世界でも同じなのではないかと思います。

 

八綱原則と気血水原則

 

以前、漢方医学を現代医学の見地に立って研究している中医学の話を聞いたことがありました。その時、八綱弁証、気血水弁証という言葉があるのを知りました。

 

聞き慣れない「弁証」という言葉が使われていますが、中医学を研究している中華人民共和国はマルクス共産主義を国是とする国ですから、そのマルクスの唯物弁証法に従って、「弁証」という言葉を是が非でも使いたいようですが、しかし、この「弁証」は「理論」置き換えた方がわれわれにはなじみやすいでしょう。したがって中医学には「八綱」理論と「気血水」理論の二通りがあるといえます。均整流の原則という言葉を使いたければ、さしずめ、「八綱」原則と「気血水」原則とでもいいましょうか。ここで、ひらめきませんか。八綱とは「陰陽、表裏、寒熱、虚実」の二つをみてゆくことですので二原則と同じ、そして、気血水は「気」と「血」「と水」の三つですから三原則であると。

 

その時聞いた話の中でも二原則の「八綱」原則が主流であるようでした。話の最後に「気血水」原則という考え方もあるのだ、と言っていましたから。外から鍼灸の世界を見ているだけですが、そこでも二原則が主流で三原則は亜流のように思われます。

 

なぜその様になってしまうのでしょうか。その理由は先に申しましたように「臨床では二原則は使いやすく、三原則は使いにくい」からなのです。このことを、漢方成立当時の歴史を振り返って考えてみたいと思います。

 

陰陽五行説とサーンキャの哲学

 

ここで、話を短くするために、かなり乱暴な言い方をしてしまいますが、八綱の二原則は中国の陰陽五行説に基づくもの、気血水の三原則はアーユルヴェーダのトリ・ドーシャ(三つのドーシャ=基本物質)説に基づくインド起源のものであると考えてみます。以下、この仮説に基づき話を進めてゆきます。

 

中国の漢方は陰陽五行説がその理論の基本にあります。つまり「陰、陽」というの二つの原理から「木、火、土、金、水」五つの要素が生まれると説かれています。

 

インドのアーユルヴェーダはサンキャーの哲学が土台にあり、「リシ、デヴァタ、チャンダス(正確には後二つの三つがあるが省く)」、その三つの原理により五つ「地、水、火、風、空」の要素が生まれると説かれています。リシは「主体=知る者」、チャンダスは「客体=知られる者」、デヴァタは「認識、知るプロセス」となります。

 

自分自身を認識する場合を考えてみましょう。「われ有り」と思って見てください。この場合「われ」を感ずるのは誰でしょう。「われ」だけでは、そこに何も変化は産まれません。「われ」を感ずるためには、「われ」の中にもう一つの「われ」を作りだし、そこから自分を眺めることが必要です。そこで最初の分化が産まれます。これが主体に対する客体です。しかしその両者だけではただ存在するというだけで、連絡がないからのですから、情報の交換が出来ません。主体と客体の間をつなぐ何かが必要になります。それが自分自身を認識するプロセスです。そして、この三者の間を情報がぐるぐる回り行き来しすることにより、「われ」の認識が深まってゆきます。

 

わかりにくければ、自分の姿を自分で見る場合を考えてください。鏡が必要です。鏡の中に写った自分が客体。自分自身が主体。そして鏡が姿を見ることの媒体になりますから、それが「知るプロセス」です。そこで映っている姿も一回見ただけでは充分な認識ができません。一度目は全体を、二度は顔に注意し、三度目は顔色を、四度目は左右の目の大きさ・・と見てゆくことにより、自分の姿に対する認識は深まってゆきます。一度、二度、三度・・と情報がぐるぐる回り認識が深まりますが、それと同じです。これ以上の説明は、はなはだ哲学的な考察になりますので省略します。ともかく、三から五が生まれるのがインド人の考え方なのだと思ってください。

 

つまり、中国人は二つから五つが生まれると考え、インド人は三つから五つが生まれると考えたのです。さて、どちらが正しいのかと考えると結論はでません。ですが、どちらが先かと考えると、これはインドの方が先なのです。

 

中国より古いインド

 

中国最古の医書である黄帝内経は霊枢の素問の二つにより構成されていますが、その勉強をするための最適な入門書の一つに「素問ハンドブック・池田政一著」があります。その中に、素問の研究家の一人「芝崎保三先生は、素問は外国語で書かれていると主張されました。そうして漢字の成立過程にまで言及し、素問の字句を解説されました・・」とあります。それが事実だとすると、その外国語とはインドの言葉のはずです。

 

また、黄帝内経の成立年代は紀元前221〜202年ぐらいだろうと言われていますが、これに比べアーユルヴェーダは伝承では紀元前5000年、現存するチャラカやスシュルタの写本は紀元前700年頃と考えられていますから、ここからもインドの方が古いと思われます。

 

また、「津田左右吉著「シナ思想と日本」(岩波新書)の中では、『・・かなり古い時代からシナ人は西方の知識や技術を取り入れたらしい形跡がある。それは西方に於て東方より早く文化が開け、したがって西方の民族が東方のよりは高度の文化を有つていたからのことである。そういう時代に於て、インドの文化は転々してシナに入ったかも知れぬ・・』

 

ともあり、また、仏教が中国に伝来し、陰陽五行説はその仏教の影響と受けたとも言われますので、いずれにしても、インドの方が先なのです。

 

なぜ、後先にこだわるかと言いますと、三から五が生まれると言う思想の方が先で、二から五が生まれる方が後だと言いたいのです。つまり三→五の思想がインドで発生し、中国へ伝わったが、中国ではこれに納得できなくて、二→五の思想につくりかえたのだと私は思うのです。なんだかむちゃくちゃな考え方ですね。なーにかまやしません。私は学者じゃ在りませんから。

 

直観の文化と観察の文化

 

インド人と中国人の物の見方考え方に違いがあるために、その様になったと考えます。前出の津田左右吉先生は同じ本の中で『・・インドとシナ思想の差異について・・この二つは殆ど対角線的に反対であって、前者はすべて宗教から発達し宗教に従属していたのに、後者は政治に発足し政治に帰着する。・・前者の思索は宗教的形而上学的問題に集中せられるのに、後者の注意は現実の生活に於ける人と人との関係を離れない。前者は思索的瞑想的であるのに、後者は世間的実利的である。前者は空想的でありその空想が奔放であるのに、後者は現実的で目前の事物に終始する。・・』と、述べています。

 

整理すると 

インド  宗教的  宗教的形而上学的   思索的瞑想的  空想的で奔放

          問題に集中

 

中国   政治的  現実の生活に於ける  世間的実利的  現実的で事物に終始

          人と人との関係を重視

 

ということなります。この見方は適切であると思います。さらに私の言葉を加えさせてもらえば、インドは「直観的」に、中国は「観察的」に、物事をとらえ、考えようとしているのではないかと思うのです。以後はこの「直観的」「観察的」という私の仮定に従って話を進めます。

 

  インド  直観的

  中国   観察的

 

インド人は自然の原理を直観的にとらえて三→五の原理をつかみ取ったのです。おそらく、瞑想の深みの中で、この世界の始まりには、主体(リシ)と客体(チャンダス)それをつなぐプロセス(デヴァタ)が存在し、その働きによって、五つの要素(マハ・ブータ)の「地、水、火、風、空」が生まれたのだと捉えたのでしょう。

 

この捉え方は非常に今日的であると驚かされます。現代の科学は、宇宙の始まりは無から始まると考えています。その無の中に動きがあり、たとえばホーキング博士の「ひも理論(私には何のことかわかりませんが)」のような働きがあって、その働きで無からビッグバンという大爆発が生じ、我々の宇宙がおよそ150億年前に発生したのだと考えているようです。

 

インドのヴェーダもこの世界の最初は「空」であると考えます。その中に三つの働きが生まれ、それににより「風」が生じたと考えたのでしょ。「風」とはエネルギーの揺らぎ、波動とか振動と捉えても良いでしょう。ともかく、そよぐ「「風」のようなかすかな動きが生まれ、それがしだいに大きくなり、最後には「火」を生み出します。すなわちビックバン。巨大なエネルギーの大爆発です。

 

その後に「水」が生まれますが、我々の宇宙も最初のできた物質(星間物質)は水素であったと考えられてます。すべての元素の根元は水素すなわち「水」なのです。原子核をつくっている陽子が1個あり、そのまわりを1個の電子ぐるぐると回っている、もっとも単純な物質の形です。それが次第に電子の数を増したり、性質を変えたりながら複雑な形を変化して行きます、元素の周期律表では水素が元でそこから、リチウム、ベリリウム、と構造を複雑化してゆく109個元素をみることができますが、それは「地」と呼べるものではないでしょうか。まさに「水」から「地」が生まれたのです。

 

数千年前のインドで瞑想を極めることによって、彼らは意識の中で、真の宇宙の姿を捉えていたのです。もちろん、今日のような科学的用語はありませんから、自分たちの身近にある事物で、その意識が捉えたものを表現しようとしたのです。それが「地、水、火、風、空」です。「直観」は実に正確にこの世界を捉えていました。

 

この考え方が、シルクロードを通じて中国に伝わっていったと考えられますが、中国人は自然の原理を「観察」によってとらえようとしましたので、インド人が「直観」によってとらえた「地、水、火、風、空」という原理になじめなかったと考えられます。

 

「空」というなにも無いところから「風」が生まれ、「風」から「火」が生まれ・・とは「空想的で奔放」すぎて、どうしても考えられなかったのでしょう。また、三つという要素にもなじめなかった。なぜなら彼らは観察の民ですから、一日は昼があり夜がある。暑さ寒さがあり、冷温があり、あるものが増えばあるものは減る(+と−)、裏があれば表がある、というように「世界を形作る働きは二極しかない」と思ったのでしょう。

 

そこで、インドの考え方を参考にしながら、中国人なりの世界観を作っていきます。「陰陽五行説」です。世界は二つの要素「陰、陽」からなり、そこから「木、火、土、金、水」と言う五つの要素が生まれると考えたのです。すなわち「木」が燃えて「火」を生み、「火」の燃えた後には灰が残る。この灰から「土」が生じ、その「土」の中に金属が埋まっているから、「土」は「金」を生み出す。その金属の表面には水滴となった水がつくから「金」から「水」が生ずると。今日的な考え方からみれば幼稚ですが、物事を観察した結果として、以上のように結論づけたのです。

 

表意文字と表音文字

 

しかし、笑ってはいけません。こうした中国人の自然への観察から漢字が生み出されるのです。彼らは徹底して、観察からこの世界を知ろうとしました。そこで表意文字である象形文字を発達させ漢字を生み出したのですが、漢字をよく見ていると、その観察の正確さには驚嘆させられます。

 

たとえば、人の話を聞くときの態度にも二通りあります。「聞」「聴」です。漢字のつくりをみてみると、「聞」は門の中に耳があります。つまりガードしながら人の話を聞いている態度です。自己防衛的傾聴法と言われている態度です。

 

しかし「聴」は「耳」偏に「十」があり、「一(旧漢字」があり、「目」があり、「心」まであります。つまり、耳を十分に傾けて、一心に、相手の目を見て、心を込めて聴くのです。己を虚しくして相手の立場に立ってすべてを聴き取ろうとする態度です。積極的傾聴法と言われています。話の聴き方一つでも、このような差があるのだと気づいていたことに驚かされます。

 

また「わらう」という行為にも13もの漢字が当てはめられていて、代表的なものでは「笑」の喜んでわらう、「嗤」のあざけって笑う、「哂」(→日本語では「咲」)は花のつぼみが開くようにわらう、などがあります。花が咲くわらいとは、なんとエレガントな笑い方なのだろうと思ってしまいます。モナリザの微笑み、弥勒菩薩の微笑みを連想します。

 

以上のように中国人の価値観(物の見方考え方)の根底をなすものは、事物を徹底的な「観察」によって把握しようする態度なのです。ですからその民族がどのような文字を選択したかと言うことは、その民族の性格を知る上で大変重要なことになると思われます。インド人が直観的であると言うことは、この文字の選択にも現れているのです。

 

中国人が表意文字を選択したことに対して、インド人は表音文字を選択しました。表音文字とはアルファベットやひらがなのような一つの字が一つ音を表す文字のことです。自然界には、固有の音があり、それを音として捉えた場合の文字をのことです。

 

我が国には「言霊=ことだま」という考え方があります。言葉に力があると考える考え方です。言葉に内在する霊力があって、言語が発せられるとその内容が実現すると信じられていました。たとえば、子供におしっこをさせる時、お母さんは「シー」と言います。これは「シ」という言葉には閉める、絞る、と言う働きがあるからで、それを発せられると何となく締まるような感じがおこり、それで膀胱がしまっておしっこをしたくなってしまうのです。また「ホー」と言うと何となく、体全体が暖まってゆるんできませんか。これが「ほのお=炎」などの言葉の語源となってゆくのです。

 

インドの言語の母胎はサンスクリット語ですが、サンスクリット語はこうした自然発生音を、もっとも純粋な形で残している言葉です。ちなみに「あ」という音は、宇宙の原始の音であると言われています。母音の一番最初が「あ」なのはこのためです。「あいうえお」は伊達や酔狂で作られているのではなく、今は失われてしまった英知にゆらいしています。

 

インドの子供が学校で最初に発声練習をしている風景を見ましたが、「ああ、いい、うう、ええ、おお」と母音をはっきり言う練習をさせられていました。母音はとても大切にしているのがインドの文化なのです。日本語の「あいうえお」とまったく同じなのに驚き、興味を引れた覚えがあります。ですからインド人が英語を話すと我々日本人は聴き取りやすいのです。なぜなら子音よりも母音がはっきりしているからです。

 

民族が文字や言語を選択すると言うことは、価値観(物の見方、考え方)を選択することだと言いましたが、表意文字である漢字を選択した中国人は存在の外側の形を見抜くことによって、物事の本質にせまろうとしました。「観察」を極めることによって、それを達成しようとしたのです。

 

これに対して表音文字を選択したインド人は存在の内側に内在し、存在を存在たらしめている力に注目して、それを明らかにしようとしました。そのために、静かに座して、存在そのもに向き合い、その存在から発せられる何かを心の力でキャッチしようとしたのです。すなわち「直観」を極めることによりそれを達成しようとしたのです。存在の奥に内在する力とは、すなわちそれは音なのですが、その音を直観により明らかにすることにより本質にせまろうとしているのです。

 

以上のような意味から、中国人は「観察的」把握法を大事にし、インド人は「直観的」把握法」を大事にしていると私は考えるのです。そして、「観察的」把握法から「陰、陽」二原則が、「直観的」把握法からは「リシ、デヴァタ、チャンダス」という「三原則」が生まれたのだと思うのです。

 

日本人は三原則思考

 

それでは、我が、日本民族はどうなるのでしょうか。我が国はインドと同じ三原則を基本とする国なのです。なぜでしょうか。我が国の神話は三原則からはじまっています。古事記は宇宙の創生を次のよう語ります。

 

『地天(あめつち)の初発(はじめ)の時、高天原(たかまのはら)に成りませる神の名(みな)は、天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)。次に高御産巣日神(たかみむすびのかみ)。次に神産巣日神(かみむすびのかみ)。この三柱(みはしら)の神は、みな独り神に成りまして、身(みみ)を隠したまいき。』

 

少し解釈が必要です

地天(あめつち)の初発(はじめ)の時 → この宇宙の始まりの時、

高天原 → 高い原理と広い(原)の原理、つまり縦と横の原理。つまり、時空の十時交差の一点、つまり「0」または「無」または「空」のこと。

鳴る → 「鳴る」は響くことであり、エネルギーの振動しているということ。

神様のお名前 → 宇宙に働く力を名前で表現したもの

天之御中主神 → 「中」の働き、すなわち中心の働き、次の二神の間に立ってバランスを取る働きをする神様。

高御産巣日神(タカミムスビノカミ)、神産巣日神(カミムスビノカミ)というのは、ふた柱の神様の違いは「タ」という音が有るか無いかと言うことだけです。この「タ」は他人の「タ」で、「主体」に対する「客体」のこと。

したがって、天之御中主神、高御産巣日神(タカミムスビノカミ)、神産巣日神(カミムスビノカミ)というのは三つの働きは、サンキャーの哲学で言う、「リシ、デーヴァタ、チャンダス)」の三つの働きと同じこと。ただしこれは私が言うだけで、一般的な解釈からは逸脱しています。一般的な解釈は、片方を天、片方を地などにあてはめ、二原則的な中国的な考え方にとらわれすぎているように思います。

この三柱(みはしら)の神は、みな独り神に成りまして → 一つなのだけれども三つ、三つなのだけれども一つという意味です。つまり、「リシ、デーヴァタ、チャンダス)」の働きは三つで一つ、一つは三つといっているのです。

身を隠したまいき → 隠れて見えませんと言っています。三次元空間には存在しませんと言っているのです。

 

「この宇宙の始まりの時、時空の十時交差の一点、「無」の中でエネルギーの振動がおこり、それによって「中の働き=デヴァタ」と「主体=リシ」と「客体=チャンダス」の三つの働きが現れ、それは三つなのですが一つ、一つなのですが三つという不思議な力で、この力は私たちの住む三次元空間からは観察できませんでした。」と言っているのです。(天之御中主神の「之」の部分と、高天原については生長の家の谷口雅春先生の「古事記と現代の予言」解釈を借りている、造化三神については私のオリジナル)

 

古事記では宇宙の創造を、たった一、二行の文章で的確に表現したのです。そして、そこに三つの原理が働いていることを見抜いていたのです。驚くべき英知であると感心します。

 

巴の意味

 

このほかにも日本民族の三原則思考を他にも探ってみると、和太鼓の巴紋にもその影響を見ることができます。下の左の図がその巴紋です。和太鼓のすべてではありませんが、一部にこの紋が画かれているものがあります。

 

 

 

なぜ、太鼓にこの紋を画くのか、インターネットで探ったところ

 

『水の渦巻いている様、蛇がとぐろを巻いている様、雷光の走る様、勾玉を象った物、雲を表現したもの、巴紋の謂れは諸説一杯で定説はない。しかし、古代より、世界各地にこの文様は見られ、一様に神秘性・霊的威力を各民族は感じ取ってきた。http://www.ne.jp/asahi/tajimamori/yk/sub16.htm』

 

とか、『また、古代の宝器であった勾玉が巴形で、これが神霊のシンボルに移転したこともこの紋が広がった要因のようだ。(右三つ巴) 、この家紋の【主な使用家】巴紋は神社に多用されているため、神社関係のひとが家紋として使いはじめた。・・http://www.harimaya.com/o_kamon1/yurai/a_yurai/pack2/tomoe.html』

 

『ところで、なぜ巴の数が三つと二つなのかよくたずねられますが、この事について調べてみましたが、はっきりしたことはわかりませんでした。(明治神宮HP)』

 

と、はっきりしないようです。これはたぶん「中の働き=デーヴァタ」と「主体=リシ」と「客体=チャンダス」の象徴と思われます。その三つの魂がぐるぐると巡り、その円融により事物が存在するという意味ではないでしょうか。太鼓にこの巴を画くことにより、創化の三神の働きを鳴り響かせるという意味があったのではないかと思います。明治神宮でもわからないようですから、その知識ははるか昔に失われてしまったのでしょう。

 

いずれにせよ、日本人は古代には三原則思考をしていたのですが、後に中国文化の影響のより、二原則の思考も取り入れていったものと思われます。そして、そのうち三原則を次第に忘れていってしまったのではないでしょうか。

 

均整法の三原則の系譜

 

日本の歴史の中でも、漢方においても、均整法においても、どうも三原則は忘れさられる傾向にあるようです。なぜ、三原則が忘れられていってしまったのか、直観的思考よりも観察的思考(分析的思考と言っても良い)を重視するようになったのかについては、この後で別の形で述べてみたいと思いますが、ともかく今は、亀井先生のよって提唱された三原則は、直観的思考によりとらえられ、またそれはインド的思考でもあり、アーユルヴェーダにも通じ、古代日本の英知の反映でもある。中国的、漢方的な二原則思考とは別の系統に属するものだということを知っていただきたいのです。

 

そして、均整師の中でたった一人、この関係に気づいた人がいました。亀井先生の高弟の中でも筆頭にあげられる矢野暉雄先生です。

 

 さて、この三角形の頂点Aには平衡を配し底辺の両端BCにはそれぞれ強弱と可動を配して考えてみたいと思う。私は平衡(バランス)こそ均整法の骨子であると考えるからである。儒教では中庸は徳の至れるもの也と言うし、日本の古典においては、天之御中主神を中心に、高皇産霊神、神皇産霊神の所謂る造化三神が天地開闢の始め高天原に成りまして、万物を生成経営されたことになっている。これを三角の図形に配すれば、頂点Aはアメノミナカヌシ、底辺の一端Bはタカミムスビ、他の一端Cはカミムスビとなる。陰陽原理から言えば、BCは陽と陰、プラスとマイナスとなり、Aは中であり、空であり、無死無生であり、不生不滅であり、不増不減であり、こゝから凡てが出てくるのである。

 而して、強弱も可動も、中庸(平衡)の徳を得て始めてその働きの全きを得、平衡は強弱、可動の働きにより始めて活動力となって表われるものであり、これが久遠実在の三位一体の姿であると考える。

 又これを仏典に言う三宝(仏法僧)に配すれば、Aは法に当り、BCはそれぞれ仏と僧に当るものと思う。仏も僧も法を離れて存在せず、法は仏僧の働きにより、この現象界に相を表し得るものと考える。

 かくの如く、この平衡、強弱、可動の三者は一体不離のものであり、これを展開してゆけば、無再現の均整技法となって現れるものと思われる。然もこれは身体に対する均整のみならず、精神面の均整にも、職業面の均整にも、又芸術その他百般における均整法となって現れるものであろう。

 かくして日々臨床の間に、この三原則を活用して、病める人の為には、ボディをデザインして、平衡、強弱、可動の三要素の円融した、本来の均整な身体に復元し、悩める人の為には、その心を均整にして平安を与え、或は夫婦生活の均整を説いて家庭円満の基をつくり、或は食生活の均整を教えて血液の酸塩基の平衡(バランス)を計る。これ即ち、我ら均整の使徒の日常である。なんと楽しいことではありませんか。

機関誌(特別寄稿)身体均整法創立15周年(S41.9.10)矢野暉雄 』

 


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