小関勝美先生と姿勢保健均整専門学校

 私のホームページに以下に文章をのせて欲しいと、M先生から要望がありました。1999年の12月のことですから、かれこれ1年4ヶ月も前のことになります。その要望を今まで無視し続け、私のHPへの掲載は見合わせていました。その理由は後で述べますが、まずはその文章をお読みください。

座談会「専門学校の現状と未来」

(日本教育新聞・昭和53年12月4日号より)

永井道雄(元文部大臣)
小関勝美(姿勢保健均整専門学校長・医学博士)

永井 小関先生のやっておられる姿勢保健均整専門学校というのは、これまたひじょうにユニークな学校ですね。

小関 そうですね。じつは世界でただひとつの学校なんですよ。

永井 この学校ではどういうことをおやりになるんですか?

小関 はい、私どもがやろうとしているのは、現代医学が見落としている基本的な問題を解決しようということなんです。ご承知のとおり、医学ほかなり進歩しました。けれども、外来患者のうちの75%は『病気でない病人』、つまり不定愁訴の患者なんですね。どこに原困があるのかわからないが、どうもからだの調子が患い‥‥‥。また、病名も原因もはっきりしているが、今の医学でもなかなか治せない病気も数多くあります。こういった病気を治そうというのです。

永井 カンタンに言えば、薬で治せない病気を治すわけですか?

小関 そうですね。薬で治せない病気を姿勢を正しくすることによって治します。この点が現代医学の見落としているところなんですが、姿勢というものは私たらの健康にきわめて大きな作用をおよぼすんですね。姿勢が悪ければ、からだのどこかにゆかみがでます。そのゆがみが病気の一因なんです。このゆがみをとってやれば多くの病気が実際に治るんですよ。

永井 応用範囲も広そうですね。

小関 そうですね。健康開発、整美開発、頭脳開発‥‥‥とひじょうに分野が広いのです。そしてまた、人間のからだというものは、ひとりひとり違つておりますから、そこのところを良く考えてやらにゃなりません。

永井 頭脳明晰になるそうですが、ほんとうですか(笑)。

小関 みなさん、お笑いになるけれどもほんとうです。姿勢を正すことによって今までデレッとしていた子どもが生き生きとしてくる。幼稚園などで、これははっきりわかりましてね。今までノロノロしていて作業の進まなかった子どもの動作が非常に敏捷になって成績が良くなる‥‥‥。

永井 なるほど、それで、先生はいつごろからこれをお始めになったんですか?

小関 学校をつくりましたのは最近ですが、この療法の歴史はもう三十年になります。これは亡くなられましたが、亀井進という方が始められたものでして‥‥‥。

永井 その方はお医者さんですか。

小関 いや、民間医療の方なんです。亀井先生は天才ですね。

永井 で、何かの機会にお知り合いになられた。

小関 そうです。わたしは現代医学も学びましたが、いろいろの病人をみていろうらに現代医学だけでは解決のできない問題が多くあることに悩んでいました。何かを探していたんですね。そういうときに、私は亀井先生に出会いました。これこそ私の求めていたものだとすっかり共鳴したんです。それで、さっそく亀井先生に学ぶことになったのですが、学んでいるうちに、ぜひこれを正式なかたちで世に送り出したいと考えるようになりました。ところが、医療関係というのは厚生省の規定がむずかしく、なかなか認可かおりない。そこで、まず会員制にして広く会員を募集しました。(アンダーラインはM先生)

永井 なるほど。

小関 会員は、日本全国はもちろん、アメリカや台湾などからも集まってきましてね。そうなるとやはり研修の場が必要であるということで、昭和45年に「東京身体均整学院」を設立し、うちの学校がいちばん最初に専門学校になりました。

永井 それで、厚生省は認めたわけですね。

小関 厚生省では、病気を治すということはいかんが、からだをよくするということならいい‥‥‥(笑)

永井 つまり、厚生省からみると、小関先生の学校は、体育増進・保健学校と同じような扱いになるわけですな。それで卒業したあとはどういう進路をとるんですか?

小関 姿勢保健均整師(ボディ・デザイナー)という称号を得て、全国いたるところで開業し、多くの人たちの要望にこたえております。看板は「姿勢保健均整指尊所」です。

永井 生徒はどういった人たちですか?

小関 それが、うちの学校の生徒は少し変わっていましてね。早稲田、慶応の卒業生や元管理職だった人とか停年退職者、それから医師、といろいろいます。いずれもこの学校で教える均整法に意義を見い出した人たちばかりです。

永井 で、看板を掲げてやっている人たちは繁盛していますか?

小関 そうですね。一度きてもらえば信用されますから。あとは口コミで次から次へとお客はきます。

永井 とにかく、専門学校というのは、他の大学には見られない柔軟性と特色のある学校が多くて非常におもしろいのですが、これからの抱負をうかがいたい。

小関 私どもの学校は本来は国がやるべきだと私は考えております。国は国民の保健というものに、もっと力を入れるべきなんです。私どもの学校は、現在、二年制ですが、ほんとうは二年ではとても足りません。ゆくゆくは四年制にしたいと思つています。この勉強は非常に範囲が広く、自然科学の分野をいろいろと勉強しなければなりません。とにかく、まだ均整法の知名度が完全になったわけではないので、これからますます努力しないといけませんが、こんなに人間を幸せにするものが他にあるものか── 、私はこう強く確信し、均整法を世に広め、みんなに健康で幸せになってもらいたいと一身を賭けています。

永井 今日はいろいろとお話しをうかがって、専門校という学校は校長がひとつの理想をもって当たれば、自分の思うようにすぼらしい学校をつくりあげることができるということを知りました。今後もますます専門学校発展のためにご活躍ください。

M先生からのコメント

 アンダーラインが医療専門課程と謳っているゆえんと推察されます。また、小関校長の生前の話になりますが、私もご本人より、この医療専門課程をとるのが大変苦労であった旨の話を聞いたこともありました。従って学校認可時、文部省だけでなく厚生省の関わりはあったものと私は理解しております。
 普通の常識で考えると、一度(百歩譲って全然厚生省が関わらないと考えても)均整を専修学校で教えることを認可した行政は、それについての処遇について、体制が変わるまでは、その行政責任のもとで対応せざるを得ないのではないかと思います。
 そういう意味で均整法はすでに行政上のお墨付き得ていると私は考えます。そのことの大きさは同時に小関校長の偉大さを示しているとも考えています。
 もちろんあまりいただけない事柄もたくさんあった様ですが、均整の中興の祖として校長の評価は私の中ではゆるぎません。
 以上、つまらないことを書いてしまいましたがお許しのほどを。

 われわれ均整師をはじめとしてカイロプラクターや療術師には柔道整復師や鍼灸師、マッサージ師、指圧師が持っている偉業類似行為としての国家資格がありません。最近は厚生省が「手技療法士」なる資格制度を考えているようですが、その資格ができたとしたら、均整師はその資格を受けることができるのだろうかということが問題になります。

 そうしたことに対しM先生は、行政側の文部省は専門学校として承認したのだから、行政上のお墨付きがある。また、そこまで均整法を認めさせた小関勝美先生は偉大である。そこで均整中興の祖と考えて均整の歴史の中にその名を残すべきだといっているのです。

 しかし、私は「中興の祖」?、冗談じゃない。均整発展のために足を引っ張っても、貢献などしたことはないと思っていましたので、こんな人の名前など私のHPに載せられるものかと考えていました。それが掲載を見合わせていた理由です。ただ足を引っ張ったといったのは、M先生も「あまりいただけない事柄」と書いていますが、会を私物化したとか、ワンマンだったなどと一般的に批判されていることに関してではありません。

 均整師のみならずおよそ治療家と称される人々は、私も含めて自分勝手で協調性がないことは百も承知していますから、それを束ねるリーダーはアクの強さを持った人でなければならない。そうでなければ会を引っ張ってはこられないと思っていますから、そこを問題にしているのではないのです。

 では、何が問題なのかというと、この人のおかげで均整法の理論化が20年は遅れたと思うからです。1975年に亀井先生はお亡くなりになりましたが、それから今日まで26年間、わが均整師会は未だその当時、亀井先生が研究され発展させた手技理論の域を出ていません。いやむしろその当時、何が語られていたのかがわからないのですから、後退しているとさえいえます。

 私もこの学校を卒業していますが、均整法の理論的裏付けとなる資料は、学校時代の貧弱な教科書のみで、それからはとても亀井先生が手技に対してどのように考えておられたのか探ることは到底できません。そこで、多くの会員が機関誌、講座集の復刻を熱望していたのも関わらず、小関先生それを拒み続けたのです。

 均整の理論を探ろうとするには、菓子折を持って古い先生を一人一人訪ね、貴重な資料をコピーさせてもらうより手はありませんでした。しかし、そうして苦労して集めた資料も時代の新しいものが多く、均整法の草創期のものは皆無といって良いほど手に入りません。後に私も講座集などの復刻作業を手伝わせてもらいますが、それまでは足がかりさえつけられない状態だったのです。

 復刻作業がもっと早い時代に手がけられていたら、手技療法の統一理論の完成に亀井先生どのくらい辛酸していたわかり、それを補い、完成させて、もっと早く世の中に均整法を広めることができたのではないかと思っていたからです。あまつさえ、均整法を均整術と言い換えさせ、あたかも自分が均整法を創始したかのような言動は、創始者無視もはなはだしいものと考えていました。(実際に東都リハビリテーション学園の均整科の卒業生の中に「均整法は小関先生が創始した」と考えている人かいました。おそらく多くはこの方の迂闊が原因でしょうが、学園でも創始者への敬愛を教えていなかったのも問題と思います)

 以上のように考えて今までM先生の提案を拒んでいました。しかし、最近、私のこの考え方が少し変わりました。それはインターネットもだいぶ普及し、あちこちに均整師の方々がHPをつくられ、それを手軽にが見られるようになりりました。そのHPを見ているうちに、そのことごとくが小関先生の作られた学校(姿勢保健均整専門学校、東都リハビリテーション学園)の卒業生が作られていることに気がつきました。かくいう私も例外ではありません。

 均整法の組織は他にもあります。特に私は均整法学会こそ均整の正当を継ぐ組織であると思っているのですが、そこで学ばれて均整師になりHPを出されている方はほとんどいないようです(小関先生の学校を卒業後均整法学会に移られた方はパソ通で知っているが、しかし最初は小関先生の門をくぐっている)。皆無といって良いかもしれません。

 理論化も大事なのですが、人を育てることはそれにも増してもっと大事だと思います。理論化よりも人材の育成の方が優先する。こう考えてみると私をはじめ小関先生を批判する人々は、この点において誰も太刀打ちできません。やはり小関先生は均整法に発展のために多大な影響を残したと思わざるをえません。残念ですが。

 そこで、M先生の提案を受け入れ、先の文章をHPに載せることにしました。ただ、残念なことは東都リハビリテーション学園の均整科が、小関勝美先生がお亡くなりなり、ご子息の代になってから閉鎖されてしまうことです。今年(平成13年度)は募集しないと聞きいています。何が理由かは分かりませんが、その均整科の校長であられた奥田善紀先生の言葉をかりれば「手技療法で唯一、国(文部省)が認めた医療専門学校」が閉鎖されるのです。カイロプラクターは5千人、療術は5万人、均整より10倍、100倍大きい手技療法の団体であっても、国が認めた学校を持っていないことを考えあわせると、今更ながら小関勝美先生の均整法への功績は大きかったと考えざるをえません。


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